東京地方裁判所 昭和36年(ワ)3840号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕原告は被告に対し、被告振出の金三五万円の約束手形の所持人として手形金の支払を求めたところ、被告はみぎ請求原因事実を認めたが、本件手形はその原因関係たる契約が強迫によるものであるのみならず、その振出行為自体も強迫によるものであるから本訴で右契約および手形振出をともに取消すと主張し、本件手形振出の経緯についてつぎのとおり主張した。すなわち、原告とその夫一の両名は協議離婚を予定し財産分配方法として、実質上一つの所有に係り登記簿上は原告の実兄坂田泰治名義の土地建物を売却処分して負債を整理し残額を分配することを弁護士たる被告に委任した。被告はみぎ依頼の趣旨に従い不動産を売却し、その結果原告は売却代金七〇〇万円の内六〇〇万円を原告名義で予金し、内五〇万円を引出してそのうちから被告に三五万円を手数料として支払つた。その後原告は「離婚しない。負債整理、財産分配などたのんだ事はない」といつてみぎ金員の返還を要求し訴外野口某、遠藤某両名を同行して被告方を訪れ、七四才の老齢の被告夫妻にたいし「金を返さなければ弁護士の商売ができないようにしてやる」などとおどしつけ、被告に三月末日に金三五万円返還する旨を約束させ、ついで四月一日原告は野口ら両名を連れ被告を新宿の喫茶店へ連れ込み軟禁して本件手形を振出させたものである、と抗弁した。
原告は被告主張の強迫の事実を否認し、被告はなんら報酬に価する活動をしていないのできわめて平穏のうちに返還に同意したが、被告の夫人がこれに反対し妨害するので、新宿喫茶店で衆人環視のうちに平穏理に被告から手形の振り出し交付をうけたものであると述べた。判決はつぎのとおりの事実を認定して本件手形振出ならびに原因関係たる合意は強迫によるものであるとして、これが取消を認む。曰く。
「証人――、同×× 同○○の各証言、被告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すれば次の事実が認められる。
原告が野口、遠藤の両名を同伴し、三月二二日夜被告宅において返還の期限を明確にせよと強要した際、原告は被告に対し、「手前など弁護士でない。弁護士ともあろう者がうそつき。悪徳弁護士。」「警察に訴えてやる。裁判所にも知らせてやる。弁護士も調停もできないようにしてやる。」など侮辱の言辞を、しかも大声でわめき散らし、老令で体力気力ともに衰えており、老妻のほか他は家族もない被告に向い威猛高に喰つてかかるなどして、被告の妻をして交番に連絡に赴かせたほどの状況下に、逆に疲労こんばいした被告をして、原告が常規を脱してその言のごとく何をやり出すかも判らず、その結果は、将来弁護士、調停委員としての職務の妨害、名誉の毀損を蒙るであろうとの畏怖の念を懐かせたのみならず、将来にわたつて、このような侮辱、強要、住居不退居、老夫妻の家庭の平安侵害、老令の健康安静の喪失などの害悪を、顧問、護衛として男の二人も連れて反覆累行される危険を感ぜせしめて畏怖せしめ、よつて、三五万円に支払う旨を約させたのである。
三月三一日、野口が三五万円を受領に被告宅に来たので、被告が原告人に渡すからといつたところ、翌四月一日、早朝七時頃、原告は、前同様、野口、遠藤を被告方に同道し、なお話し合おうとする被告に向い、再び被告の妻が警察に連絡して警官を呼んで来たほどに、早朝近所恥しい大声で三月二二日夜と同様の暴言をわめき立て、社会的地位を名誉、名誉心、住居の平安、老夫婦の平和、老令の心神などに対する害悪のために被告を畏怖せしめ、兎に角、四谷警察署で話し合おう、ということで自動車に同乗した被告を、途中で欺いて新宿で下車し、一時中座して同乗しなかつた野口を呼びよせて共々に喫茶店に入り、客の現在しており又来集する開放的な喫茶席において、「家庭裁判所であなたのような者がよく勤まる。家庭内の統制のとれない人間が人様のことに手が出せるか。」などの暴言を加え、野口が、「三五万円の手形を書いて満期に支払つてくれ。」と提案し、遠藤をして手形用紙を調達に出して取り寄せ、原告は、「手形を書くまではこの場を動かぬ。」と腕組みをして手形振出を強要したため、前述の諸害悪に畏怖し切つて警察の援けを欲つしていた被告は、右の軟禁によつて益々畏怖し、遂に原告らを警察署に同行せしめる体力気力を失い、一切を後日の法的手続に期して、本件手形振り出したのである。」